フォロ・ロマーノ

いやぁ・・・・やってきました。
ローマの中心地へ。

ちなみに、ここは昔ただの湿地帯でした。
何にも使えない土地だったのです。

それをローマの五代目の王(最初ローマは王政でした)タルクィニウスが大規模な干拓事業を行いました。
巨大な地下水道を作り、水をテヴェレ河に流し、それをふさぐ目的で石によって舗装。
今もその当時の排水溝がテヴェレ河から見えるようです。
ちなみにこの王はエトルリア人とギリシャ人の間に産まれた方です。
技術の発達したエトルリアならではですね。

さて、現代のフォロ・ロマーノですが、ほぼ廃墟です。
普通の方は「あぁ、年月がそうさせるのね」と思うかもしれませんが、
それは半分正解、半分不正解です。

では、不正解の部分として何があるかというと、それは蛮族による収奪と、
キリスト教徒による石材利用です。

たとえば、サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会の内部の柱はつぎはぎだらけです。
12世紀のインノケンティウス1世時代に、カラカラ浴場などから柱を調達して作成しております。
他にもこのようにフォロ・ロマーノやカラカラ浴場跡地などから、建材として柱や大理石プレート(コロッセオの観客席やディオクレティアヌス浴場のものなど)が、大量にキリスト教の教会造りに使われました。

また、フォロ・トライアーノのトライアヌスの円柱や、コロンナ広場のマルクスアウレリウス帝の円柱の上にあった騎馬像などは、1587年に教皇シクストゥス5世によって「聖ペテロ像」に取り替えられるなど、品の無いやり方で再利用されました。

また、その時のマルクス・アウレリウス帝の騎馬像などはそのままテヴェレ河に投げ込まれたといいます。

古代ローマはキリスト教からみたら邪教の帝国であったため、容赦なく壊されたようですね。
まあ、途中から無視してくれたおかげで、テヴェレ河から拾ってきたラオコーン像や騎馬像がルネサンス期以降に見直されることになるのですが。

話はフォロ・ロマーノに戻りますが、あの中はどうも迷いやすい。
トイレも簡易トイレしかないので、トイレに行きたいと思ったらさっさと出たくなる(笑)
すぐに見飽きてしまうという事もあります。

まあ、セヴェルスの凱旋門(パルティア戦役の戦勝記念)も、ティトゥスの凱旋門(有名なSPQRの原文がある)も、人によっては外のコンスタンティヌスの凱旋門と変わらないでしょうし。
凱旋門に書いてある文章をきちんと読める人はほとんどいないと思うので仕方ありませんね。
かくいう自分も部分部分しか読めないし(笑)

それにしても、カエサルの神殿を探すのに苦労しました。
なぜか知りませんが、ガイドブックを持って行かなかったのです。
誰か人がいたら分かったかもしれませんが、誰もいなかったし。
密かに三度程通り過ぎてから見つけました。
僕が写真を撮っていると、「ん?ここは重要な所なのか」という感じで次々と人が訪れておりました(笑)

そういえば、元老院の前の「カエサルの演壇」は現在工事中でしたね。
どうしようもなく写真も撮ってません。

観光名所としては他に、パラティーノの丘があります。
かつての高級住宅街、アウグストゥスの家やその妻リヴィアの家があります。
ティベリウス帝の宮殿跡もファルネジアーニ庭園(16世紀)の合間に見ることが出来ます。
また、ここからの景色はすばらしく、フォロ・ロマーノからコロッセオ、逆側のチルコ・マッシモなども見え、夕焼け時などは最高の眺めになるでしょう。

・・・・・・・実は、疲労度ピークのため、パラティーノには登っておりませんが(笑)

本当は見るべき所はおおいと思うのですが、それ程思い入れが無い観光客は、カンピドーリオ広場の脇から眺めればいいのかな?と不謹慎にも思ってしまいます。

ま、猫がいたからいいんだけどね。

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