ショーペンハウエルではありませんが、自殺について書きたいと思います。
実は僕、自殺願望が人よりも強いと思います。
そうすると必ず周りの人は、
「自殺しても何の解決にもならない」とか
「自殺はただの逃げだ」とか
「自殺する覚悟があるなら何でも出来る」とかいいます。
しかしながら、本人には何の意味も成しません。
僕は別にいじめられたりした記憶はありませんし、事業に失敗したことも
ありません。受験にはいつも失敗しておりますが、それで自殺を考えたことはありません。
ただ、単に、「どうでもよくなる」のです。
自分にかかわる全ての事がどうでもよくなる。
最初に考えたのは、大学時代ですね。
あまりにもたくさんの人と係わり合いになりすぎました。
あの時代、勉強も頑張り、いろんな人にちやほやされました。
大学内の知り合いも400人以上になると、どの講義に出ても人が話しかけてきます。講義を休むと心配までしてきます。
そういうときに、なんかどうでもよくなった。
「人は生まれたことに意義がある」とかいいますが、別に意義を失ったから自殺しようと思っているわけではない。
「思考を停止したい」
それだけなのかもしれない。
ただ、問題も出てきます。僕が死ぬと・・・・長男ですし、妻帯者なのでいろいろと面倒が起きます。親もいますから面倒を見る義務もある。
相続問題や家督の問題、妻の立場の問題。
それらを考えると、なかなか、なかなか。
僕の中には当然、「死ぬな」っていう声もあります。まあ、理性と申しますか。
その理性というものが邪魔をするのです。
計画的に、僕を死から遠ざける。結婚もしたし、親の扶養義務もある。
子供が出来たら、さらに扶養義務もある。
今のところ、僕は、それらを未だに「守りたい」と思っている。
だから生きている。
一応、それ程強い願望ではありませんが、「やりたいこと」も存在します。
でも、それを想像してもあまり「生きていたい」とは思いません。
やはり一番、強く自殺から遠ざけているのは「面倒を残すわけには・・・」という思い。
僕は・・・・・来月が一番、「死に近づく」時期と分かっていました。
単純なこと。僕と妻には子供がいない。そして、生命保険の自殺免責期間がちょうど終わる。
一文無しの僕にも、妻に残してやるだけのお金が用意できるのです。
それで、一人で幸せに暮らして欲しい・・・・すぐにいい人見つかるさ。
僕の父親なんてどうでもいい。なんとかなるだろ。
ずっと、考えていました。
そうですね・・・最近まで。
これに対して理性は再び動いております。
「世間は、受験で悩んだとかいうぞ?(笑)」
「何も残さないで死ぬのか?」
「卯月がここで暮らすっていったらどうする?再婚しなかったら地獄を見せることになるぞ。世間の目も冷たくなるし」
やはり決めては最後の言葉ですね。
卯月を不幸には出来ない。それだけ。
そこで理性はさらなる作戦を考えました。
「卯月のお父さんもこちらで一緒に住もう!」
これで、ほぼ・・・・決定ですね。
逆に言うと、これを決定した僕は、「生きよう」と考えていることになります。
もう後には引けない・・・。自殺ともさようなら、って感じですね。
(だから、記事をかけるのですが・・・)
僕にとって、卯月は全てです。
そこから思考が再スタートします。何を求めているか?
僕が好き勝手、やりたいことを全力でしている姿、でしょうか?
美味しいものを一緒に食べて、遊んで、子供を育てて・・・。
そういう生活、いいですよね。捨てたものではないと思う。
世に言う、「普通の家庭」というのでしょうか。
ただねぇ・・・実父も卯月も、お義父さんも・・・いなかったら?
それは保証できませんね。多分、死ぬでしょう。
子供がいたら別ですが。
今のところ、そんな感じです。

コメント
ちょっと理解できました。
clausewitzさんが「何時死んでもいいんですよ。」と前に仰っていた意味がちょっと理解できました。
そういう願望が根底にあったんですね。
なんとなく「世の中に執着の無い人だなぁ」って思ってましたけどね。
でも、踏みとどまれる理由も併せ持ってるのなら、問題ないでしょうね。きっと。
人の思考を完全に理解する事は不可能なのは当然に分かっていますので、この感想が的外れなのかも知れませんが。
しかし、こういう記事が書けるのなら確かに「生きよう」と決意なさったのでしょうね。それだけで、十分なのでしょう。
ちなみに、私は「ツマとの約束」で自殺だけは出来ないことになっておりますw
長所であり短所でもある
やはりどこも似たようなものなのですね(笑)<約束
いつの世も男は守るものが無かったら戦えないのかもしれませんね。
守るものが多いと弱みを持っているのと同じですが、逆に言えば武器を持っているともいえますね。
お互い頑張って、「生きて」いきましょう。